遊星歯車機構

主に三次元

アンチの意義を好意的に考えてみる。

キンキさんのアンチ意見(アンリー的なものも含め)、定期的に読みます。ドMか(笑)
ただ、昔からずっとそうなので単純に「良い意見も読んだから悪い意見も読んでおこう」ってことなんですが、よくよく考えると「別に悪い意見は必要ないんじゃ?」とも思うという(苦笑)
若い頃だと感化されるところもあるのであんま読まない方がいいと思うんですがもうばばあなので読んだところで自分の意見が曲げられるわけでもなく(ばばあは往々にして頑固笑)、考え方の相違として「ふーん」と思う。という感じです。
自分の性格的に、というよりはてんびん座の宿命なんじゃないかと疑っています。占いは信じる信じない自由だと思いますが、てんびん座って「公平」が美徳だと思ってる節があって、こっちの意見を見たんだから違う意見も見ないと公平にならんでしょ、というのがあるわけです。
なのでこの件に関しては星座の所為だな、と思ってます。
あとは血液型の所為じゃないか? とも思ってます。対外的な意見がやたら気になる自意識が過剰なABだからなぁ……という。気になる割には自意識が高すぎて改善はしないんですけど(多分ABってそういう悪い個所があると思う)。
血液型占いに関してはアジアの僅かな範囲だけで流行ってるもんなので信憑性はありませんが、ここまで「定着している」という点から見たらステレオタイプは自然に生まれてるんじゃないかとも思ったり。(占い如何というよりも「Aはこう」「Bはこう」みたいなイメージが既に国民に定着してしまっているという意味でのステレオタイプ)
という「外因」を考えること自体がそもそもの自分の個性を信用していないだけちゃうかとも思うんですが、外因の所為にしたい。ドMじゃないと思ってます(笑)
でも長く続けてるアンチっていうのはファンだったんだなぁ(もしくは今でもある意味ファン)とは思います。だってそんな、嫌いになったら普通は執着しないわけで。対象物に関して延々とネチネチと言い続けるにも体力も精神力も必要だと思うわけです。正直嫌いだったらどーでもいわけで無視するのが一番いいわけですから。
それをあえてせずに対象物に憎悪の念をおくると言うのは、やっぱりひん曲がってるけどファンなんだろうなとも思うのでした。それを純粋に応援しているファンと同義で語ってはいけない気もするけど。
でも他人の人生に憎悪を向ける、というのは自分の人生に跳ね返ってはこないんだろうかと考えたりします。
「気」の問題になると胡散臭い話になるのでなんとなくの感覚でしかないですけど「人を呪わば穴二つ」なんて言葉があるわけですから(人の事殺したいくらい呪って(墓)穴掘っても自分もその隣(の穴)に埋まることになるよ←適当な注釈)、昔っからそういう「負の感情」ていうものは結果自分に戻って来るもんなんだなと理解されてるわけで。
アンチの存在というものは消えることはないけれど、あんまりよい未来が待ってるとも思えんなぁ、というのが感想です。
あとは他人の人生を云々言ってるという時間があること自体、自分の人生を考える時間をそこに宛ててるわけだから自分を客観視しなくていいっていう利点はあるんだろうなぁ。他人の事愚痴ってれば自分の人生顧みなくて済みますし。それが出来ること自体、自分の人生に悩みが無いっていう事も考えられるし。(自分の事で悩んでたらアイドルや芸人相手に文句を言ってる時間はない)
と思うと、飽食の時代ならではの産物なのかなーアンチって。とも思うのでした。アンチっていつから存在してるんだろう。そのうち調べてみようと思います。
与党に対して野党がありますけど野党って別にアンチなわけでもないしなー(今の野党のやってることはただの自民党アンチなので見るに堪えないところはありますが。建設的じゃ無さ過ぎてがっくりする)本来は建設的な意見を提出して「国民の生活をよりよくするため」の政治だと思いますが、アンチ化してるのを見てると「自分を上げるために他を貶す」という事自体が一般化されすぎてるんじゃないかとも思ってみたり。野党の本来の存在意義がどこをどうしてアンチと化すのかと思うとがっくりですがそれも時代なのかなー……
「建設的な意見を述べる(それが例えば現在行っていることに関しての反対意見であっても)」というのはアンチ何だろうかと思うとアンチでは無い気がするんですよね。「よりよくなってほしい」という助言のつもりであるものが「それはアンチだ」とレッテルを張られる可能性もある。ファンが否定的な言葉をひとつでも発したらアンチ、となってしまうのであればそれはそれで「どうなのかなぁ」とも思うんですがネットがここまで普及してしまった昨今、言葉の真意なんてものは「文字であらわす限界」があると思うので「対面で文句を言う」のとはまた違った捉えられ方をするんだろうなーとか。
ただ、その人が「相手に対して対面で反対意見を言える」のであればアンチじゃないような気も。基本的にアンチっていうのはイジメにも近いと思うので「陰でこそこそ言う」「匿名を使う、本名は明かさない」っていうのであればそれはアンチなのかなと。
顔出して堂々と反対意見を言う、というのであればまぁ納得はできるんですがこのネット社会でそれやれる人がいたら多分精神の病気を一番に心配されると思うのでアンチ云々の話でもなくなるような。
だからまぁ結局は必要悪なのかな、と思ってます。
皆がみんな褒め称えて崇め奉ってしまったらその対象物はよっぽどの精神力が無い限り「神」になってしまうわけで。アンチの存在意義ってそこだけのような気がする。「神」ではなく対象物を「人」として存在できるようにするストッパーのような。ただそれは対象物が「アンチと言う存在」を認識していないと始まらない話ですが。
対象物は「人」であったほうが絶対良いと思います。
「神」になっちゃうとろくなことが無いと思う。神は創造物として存在していればいいだけで「人が神になる」なんていうのは無理です。誰か、個人の神になることはあると思う。アイドルはそもそも「偶像」何の偶像かといえば「神の偶像」なので、個人がそのひとを信望するのは別段何の差しさわりもない。問題は対象物が自分を「神」と思ったらもうおしまいだということだと思います。
その意味でアンチはストッパーだと。

アンチってなんなんだろうなーと考え始めるとそこらへんのことくらいしか思いつきませんでした。
ただ、他人の人生にこの上ない憎悪を押し付けることができる、というのも稀有なもんだなと思います。結局は跳ね返ってくるものだと思いますが何故跳ね返って来たか、というのはアンチ自身には理解できる日はこないのかもしれない……とか意地の悪いことを思うのでありました(笑)
なんだこれ、結局私の性格が良くないことが露呈してるだけの話になってきたぞやめとこうもう。
とりあえずアンチの歴史は調べてみたいです。

アンチに関しては手越くんの考え方がすんごい好きです。
俺のことがすき! っていう結論に落ち着くとこ最強だと思う。
前向きな人に後ろ向きな人は絶対敵わないんだなってあれ見てると痛感します。