遊星歯車機構

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「煙草」が持っている「言葉」の威力

調べたいんだけどネットで調べてすぐわかっちゃうのもなんだかなーと思って調べてないのは光一さんの喫煙の件。

キンキさんの会報で昔、光一さんが東山さんに言われて禁煙してたけど無理でした的なことが書いてあったと認識してるんですが、そういう会報、あったよなぁ? と思いつつ調べてません。 調べたらすぐ解るだろーと思いつつ。

あれもうSHOCKやってた頃だと思うから此処15年内のどっかの会報だと思うんだけども。 当時「会報でアイドルが喫煙報告とか斬新すぎやろ~」と思った覚えもありますが同時期に剛さんもコンサートで吸いながらやってたような。うろおぼえです。

喫煙ってアイドル畑にずっといたら「ええ?ありえないわ」となるかもしれませんがバンド畑からジャニーズ事務所にハマってる自分(というか紆余曲折してジャニーズ畑に辿り着きました)からしたら「ギタリストが一度は通る道(煙草咥えながらのライブ)」みたいなイメージです。まぁ私の中ではラルクkenちゃんがばんばん吸ってたから(kenちゃんがすきです)あんまり気にもならなかったような。寧ろああいうパフォーマンス的なのは大歓迎です。

最近だと秋葉原で女装してたときのブンブブーンのとき、ロケバスで吸ってた光一さん目撃情報がほんとかどうかはしりませんが、出回ってましたよね。

喫煙に関しては個人的にはあんまりなにも思ってません。個人の自由なわけですし、世界的に見たら禁煙ブームだと思いますが、別に法律で「絶対吸うな」と言われているわけでもないし。

私はむしろ「吸わなければ落ち着かない」ような中毒性のあるものに光一さんが日常的に侵されてる(言い方どうよ)という状態がちょっとたまらんなと思います。変態ですねこれだと。否定できない。

剛さんは禁煙できてるらしいのでそれはそれですんごいなと思いますが、別に私は彼らの友人でも知人でもなんでもないので「真実」はわからないという。

だからまぁ吸ってても吸ってなくてもあんまりどっちでも構わないんですが「煙草」はファクターとしてとても好きなんです。

これは現実の世界で、というよりは文章内での話ですが。 例えば槙原さんの曲でペンギンという曲がありますが、私はこの曲の歌詞の「高速道路の料金所はいつも君に任せてたよね 膝の上大事に持っていた僕の財布も変わったよ」という箇所が大変好きなのですが、この「高速道路の料金所」というファクターはETC主流の世の中ではファクターとしての意味を為さなくなってきているわけです。

「高速道路の料金所」はお金を払う前提で、そのお金を払うために事前に彼女が財布を準備して膝の上にかかえてる、という状況すらETCひとつで「無効」になるわけです。

この時代の流れに怒りすら覚えるわ。というのは独り言ですが、この情緒的な歌詞は高速道路で「財布からお金を払う」という料金所のイメージが全員に一致していなければ無理な話で、カードで通過できるETCしか知らない世代にこの歌詞のすばらしさは一聴しただけでは通じないということになるわけです。

私は「煙草」に関してもドラマでの規制(よく言われますがドラマでは煙草はものすごく規制されてます。だから煙草を使うには映画になるそうです。映画だとその規制が緩いらしい←この話を書いたのは2015年の夏ごろなので2016年現在、WHOが規制云々という話になってしまいましたね)によって「恰好いいもの」とか「哀愁を呼び起こすもの」ではなくなりました。シケモクという言葉だって若い子には通じないだろうし。(ルパン三世の中に出てくる次元が吸ってんのはシケモクです)

私なんかはまだ少し「煙草」というファクターを信奉視しているところがあって、「害のあるもの」というよりかは文面でみたら「孤独」やら「哀愁」やら「郷愁」が宿ってるものだと思いたいわけです。個人的に。

そもそも煙草、けむりのくさで「たばこ」と読ませるこの漢字すらも好きなんです。「紫煙」だって読み仮名がまず美しいじゃないですか、「しえん」ですよ? 紫色ですよ。白い煙を「紫」と表現するこの美しさ! なんていう美しい日本語!!とか思うんですけど、残念ながらその認識は時代に逆行しているというか、煙草もそのうちファクターではなくなるのだろうなと思います。

「若くして煙草を吸う姿が恰好いい」とは私自身ももう既に思っておらず、だけども文章中に出てくる際に「すこしさみしげ」で、「ひとりっきり」で、ちょっと「しおれてる」、「ひなびてる」ようなイメージの「煙草」と同義で小さくて携帯するもので人に寄り添うもの、が思いつかないのです。

「煙草」が持っている潜在的なイメージ、ファクターとしての能力と同じ意味の物は今後現れないのではないか、とすら思ってしまう。

というわけで煙草は嫌いではないのですが、時代によってまたひとつの「文章の中で優れた存在感を発揮するもの」は廃れていくのだろうなーと思うのでした。

今だってきっと煙草が出た時点で文章を不快に思う方は少なからずいらっしゃるだろうし。 あ、なんの話だったっけ。

ああ、光一さんの喫煙の話だ(笑) 身体の事はご自身が一番よく解ってると思うので他人がなんやかんや言いたいことでもないなーと思います。ファンっつったって他人ですから。そこは弁えたいです。身体は大切にして頂きたいですが。でもう禁煙できているのかもしれないのでなんにも言えないですね。(知らないのですみません)

「煙草」が諸悪の根源になってる世の中の風潮も解るし実際私も気管支あまり強くないので煙草の煙はしんどいんですが、ただ「煙草」というファクターは大好きです、という話でした。無くなるには忍びない「小道具」だと思います。物語や映画や、映像のいろんなところで「煙草を吸っている」ことが限りない想像を喚起する時代は終焉を迎えていくのだなぁと。

それを少し寂しく思います。

ちなみに自分は喫煙したことないです。ビールも飲んだことがない(笑)煙草と酒はお金持ちの趣味だと認識しています。貧乏人には続けられないよ! 煙草に憧れたことが一度もないのですが、物語に出てくる「煙草」というのは得も言われぬ味がある気がしています。

そういえば此処まで喫煙が叩かれていなかった頃、世にも奇妙な物語で「煙草を吸う最後の人類」が標本にされて博物館に展示される、という話があったような。あれを見た当時は「有り得ない~」と思っていましたが、そういう時代が近づいているのかもしれないなぁと。

 

アンリーの意義を否定的に考えてみる。

アンリー。〇〇オンリー+✖✖アンチ=アンリー

凄い言葉ですね。

有名なアンリーは今の時代なら大野智さんのアンリー(✖✖に当たるのは大抵松本潤さんです)、少し前なら光一さんアンリー(✖✖に当たるのは剛さん)なんじゃないでしょうか。ジャニーズ以外だと東方神起ユノのアンリーもいますが(この場合✖✖はチャンミン)とりあえず私はキンキさんが好きなのでキンキさんの光一さんアンリーに関しての否定的な意見。

アンチは肯定的に見られるけどアンリーは肯定的に見られない、という話です。書いたのは2015年8月なのでちょっと古いですが。

 

 ↓ここから。

 

久しぶりにひたすら光一さんオンリー剛さんアンチの方々の呟きを隅から隅まで目を通してみました。(個人的な趣味です)

なにがすごいってあの方々が何年ああいう主張を続けてらっしゃるかという……私、某所時代(所謂「土星」ですね。懐かしい)も覗いてたのでかれこれ15年くらい? もっとかな? 続けてらっしゃるってことですよね。

いやぁその努力をどこか他所に代用できれば随分なエネルギーになるなーと感心してます。

物事に関しては「この意見」があれば「あの意見」もあるので須らく意見を聴いて最終的にどう自分が思うか、というのを導き出せればそんでいいかなと思って、多方面覗くんですが、愚痴っているあの方々は光一さんのいうところな「ブスは嫌い」に自分は当てはまらないと思ってるのも興味深いです(私も大概失礼ですね。申し訳ないです。まぁこんなの書いてる時点で私も光一さんにいわせりゃ「ブス」ですよ。違った、光一さんに言われなくてもブスだった/笑)

まぁでも光一さんを崇め奉ってどなたかを貶すに至った、という気持ちはわからないこともないんです。過去のコンサートでそれはイジメにも該当するんじゃないのというかの言葉も生で聴きましたし(個人的には「お前は客なんて屁みたいなもんやろ、緊張なんてせぇへんやろ」あたりの言葉が結構自分は痛みを感じました。もう過去の話なので詳しくは語りませんが。Fコン追加以降の話ですね)で、それに対して光一さんが口を噤んだのも見てきてるわけで。

ただ、もうそれは過去のことですし、私が体感したものと光一さんが体感したものは同一のものではないし、あの場に居たすべての人間が同一の意見だなんてことは有り得ないわけで。あの発言でも気にしなかった人はいるでしょうし、そこはもう千差万別人それぞれだと思います。

静かに去って行った方もいるでしょうし、残った方もいる。 あの時の当人の気持ちなんていうものは他人が推し量れるものではない。

自分は光一さんじゃないし剛さんじゃない。彼らの中で今それは終わった話(そもそも「始まったわけではなかった」可能性の方が高い)であれば他人が口出しするもんでもないと思うのでした。

その辺りは私も反省しています。勝手に傷ついて勝手にいろいろ考えて勝手に理想を押し付けてふたりには大変申し訳なかったな、と。

結局、 当人の気持ちは当人にしかわからないものなんです。外野が口を挟んで「あなたこう思ってたでしょ! 私が代弁してあげる!!」じゃ完全なモンペです。 アンリーはずっとそれを行っているという。

あの人たちは「私たちこそが真の光一さんの代弁者」なんですよね。

それを15年……多分これからも10年20年と加算されていくのかな。この方々がいつまで相手を罵って暮らしていくのかな、というのは非常に興味深いものがあるのでした。

多分最終的には光一さんも貶すんでしょうけどね。 自分の思うようにいかなければ。(すでにそういう発言も散見されました。「これだけ私たちが声を上げているのにご本人が動かないとなにも起きない!! 私たちの気持ちに気付いて!!!」等。いや、テレパシーは無理だとおもうけどなーそもそもイチファンの意見でアイドルは動かないでしょう。普通に考えて)

光一さんが最も孤高で素晴らしい存在だから、バラエティという低俗な仕事をさせてその価値が薄れるのが嫌だ、という意見を見かけますが(今書いてて思い出したけど、これ東方神起でも同じ意見がありました。「バラエティ」=「低俗」と結び付けやすいとか……叩きやすくて賛同を得やすい、とか? ここも気になる点です)自分の意見をひたすらに主張して押し付けているという図に「気付いていない」ところがまた興味深いです。

光一さんのことを誰よりも想っているように見えて、その実光一さんの意見は無視されているという。

光一さんが孤高で清廉で素晴らしい存在である ということと、 バラエティが低俗で下品だからそれに出演することで価値が下がる ということはイコールになりません。別次元の話です。

光一さんが素晴らしい存在、というのが前提条件であればバラエティで価値は下がらないからです。もともと素晴らしいのであればなにをしていても素晴らしい。本質は揺るがない。普通はそう思うんじゃないかと思うのですが。

それでは何故「バラエティが下品だから出演すると価値が下がる」と思うのか、というと、それを発言する側が最初からバラエティを小馬鹿にしていて、その上「自分の思う光一さんはそんなところに出演しない」という願望があるからです。

光一さんが素晴らしいこと、は光一さんの「本質」であって、後者はただの発言する側の「願望」です。

願望と言うのはなにかというと言葉を悪くすれば欲望です。

自分が「こうあってほしい」「こうでなければ嫌だ」という気持ちを「相手に押し付けている」という状況です。

その根本を辿っていけば「自分の思う光一さん」に「光一さん本人」が「忠実であってくれなければいけない」という感情があると思います。これはなにかというと、正直ファンの思考ではないと思う(苦笑) ある程度の理想は押し付けられる存在だと思うんですよ、アイドルって。でも「私の思うアイドル像」を本人に声高に押し付けるのは違うでしょう。心の中で思うくらいがちょうどいい。

 「自分が認めた人間が、自分の思うような場所で、自分が描く最高の舞台で、誰からも汚されず、すべての人に愛されていなければ嫌だ」というのは結局

「そういう人間を自分は信奉しているの。私は素晴らしい人間を見つける目があって、そのためにすべての害悪を排除したわ。あの人を全てから解放できるのは私しかない。私が見つけたあのひとは全世界の人間に認められなければいけない素晴らしい孤高の存在!!!」

ということにほかならず(まぁ極端に書いた自覚はあります/苦笑)、なにが言いたいかっていうと、光一さんの本質云々じゃないんだよねっていう。

あの方々は光一さんにかこつけて「自分の価値」を信じたい人たちなんだとそう思っています。今のところ。

「光一さんの価値」を信じたい人ではなく「光一さんと言う存在を見出した自分自身には価値がある」と信じていらっしゃる方々だと。

自分の価値を高めるために「光一さん」という存在を見つけてキンキで色々あった過去に難癖をつけて剛さんを貶す。願望を押し付ける(解散してほしいとかそう言う類の)。

そうすることで、それが叶わなければ悲劇のお姫様を演じることができる。(叶わない要望を声高に叫ぶことによって悲劇を演じることができる)ついでに自分がもっと頑張って声を上げることによって光一さんひとりを輝かせることが出来ると言う「充足感」もあるという。ついでにもしふたりが各々の道を踏み出し始めるなんて日がきちゃったら(こないと思いますが。)「わたしが光一さんをここまで育てたの! 私だけが光一さんの本心を知っていたの!!!あの人は解放されたがっていたのよ!」と自慢できるというオプションまでついている。

自分の人生を肯定するにあたって、非常に楽な方法で自分を高めているなぁ……(いや、実際はそんなもんで人間力は高まらないんですけど)と思うのでした。

書いててなんですが、貶す意図は全くないです。ここまで書いておいておいおい、て感じですが私はあの方々がどういう方向に向かっていくのかというのも非常に関心があります。

キンキさんは解散しないでしょう。各々のソロワークは充実しているけれども、それでも帰る場所はキンキだとお互いが公言してるじゃないですか。あとブンブブーン見て解散とか言う人の気持ちが正直全く理解が出来ないです(笑)二人の長年の関係性が年を経たことによってもっと穏やかになって今、とてもいい雰囲気だと思います。二人でいることがとても「自然」に見える。

アンリーは番組見ることも殆ど無いと思いますが、二人でいる場所。というのも彼らの人生の中で大事な場所なんではないかと思いますが。生田君が時折言うじゃないですか「グループが羨ましいときもある」と。彼は友達もたくさんいるでしょうから悲愴な感じでそんなことは言いませんがそれでもだからこそ、「なるべくして組んだ相方」というものは大事なものだと思うわけです。お互いに。

若い頃にひとりきりだったら越えられない壁もあったかもしれない。だけどそれを越えられたのは「ふたり」だったからでしょうし「ふたり」だからこの先の未来も「楽しい」と思えることだって多い筈です。何故彼らが「解散したい」と声高に叫んだわけでもないのに、解散を推し進めるのか意味が解りません。

彼らの場所は彼らが決める。彼らの未来も彼らが決めます。

もう36歳と37歳のいい大人です。仕事の内容如何をモンペのようにファンが文句を言うのも恥ずかしいことでしょう。彼らは仕事に誇りがあるはずです。まずはそれを「尊重する」という姿勢をファンが見せたっていいのにな、と。ソロワークと二人の活動内容に差がある、というのはおかしな話です。別のものを比べる必要はない。

「これ」は「これ」で「あれ」は「あれ」です。「これ」が「あれ」になることはありえないし「これ」と「あれ」を比べること自体本来不毛な論議です。

働き過ぎだなぁって思うことはあるし事務所どうしたー?て思うこともそりゃあ長年ファンやってりゃ思いますが、彼らは良い人だと思うわけです。だったら彼らの周りの人間だってきっと良い人が集まっていると思います。人はその生きざまが顔に出るし周囲の環境にも反映します。自分が信じた人の周りに良い人がいないわけないじゃないですか。その周りの人間まで疑ってかかるのは私は嫌だなぁと思ってます。彼らなりの最善の方法でこれからもファンを楽しませてくれるだろうと思ってます。まぁそこにいてくれるだけでありがたやーて思ってますが。生きて、楽しく生活してくれてるだけでも個人的には十二分にありがたいです(笑)

アンリー、不可思議な存在です。理解できる箇所もあれば全く分からない箇所もあります。とんでもないアイドルっていうのは周りの人間を巻き込むんだなという事例として今後も傍観しつつ時折考えていきたいです。 皮肉でもなんでもなく心からそう思うのでした。

此処まで書いた話は「こういう考え方もできるよ」っていう話なのでこれが「正しい」わけでもないです。いろんな方がいらっしゃっていいと思います。 言論の自由がある国ですから。

ただ、ふたりには心穏やかに過ごしてもらいたいなぁ。世間の声とか気にせずに。 ってちょっとだけ思っているのも事実です。

実は昔剛さんがすこし苦手だった話はまた今度にでも。

 私はいま、ふたりが好きです。

 

 

ミラコンレポ(王子27歳)

「えええ光一さん、日サロとか行ってたっけ!?」と驚いたレポ。宮城のミラコンレポっぽいです。自分の過去の日記、超読みにくい。
でもこのレポ書いた過去の自分をほめたい。くそかわ王子(約10年前)。


昼の部なんですが、「日焼けサロンに行った」という話になり、「人生で二回目の日サロ!」とちょっと自慢気な光一さん。今年の夏やったかな? あんまりにも顔色が悪いからと焼いて隠そうと日サロに行ったんだそうです。でも本人いわく「三日でなくなっちゃう」らしいです。

で、ジュニア時代の日サロの話になり、「これ言っていいのかなぁ」とにこにこしながら光一さん。すかさず米花さんや秋山さんが「そこまで言ったなら言ってください!」と促すと。
「ジュニアの子がな、日サロから帰ってきたところジャニーさんに見つかって「YOUなんでそんなに黒いんだ?」って聴かれたのね。

ジュニアの子が「日サロです」って言ったらジャニーさん慌てて「日サロなんてピンサロと同じ! 行っちゃ駄目!!」って」
……もうね、私、いや、27の子だからさ別に全然構わないんだけどさ、あの綺麗な顔から今「ピンサロ」って出たよ! と結構感慨深い発言でした(笑)

社長、日サロとピンサロ全然違うから……と其の後みんなで説得したそうな。

「言っていいのかなぁ」っていう疑問符がまさか「ピンサロ」に掛かってるとは思いませんでした。

あ、彼が日サロに行ってるというのも吃驚でした。三宅の健ちゃんや森田剛くんとかなら全然普通だと思ってしまうんですが、これはMAも意外だったらしく驚いてました。

秋山さんが光一さんに「光一くんて日焼けしても赤くなるだけな感じがしますけど」って言ってて(実際はちゃんと焼けると本人言うてはりました)秋山さんは光一さんにどれだけ夢を見てるんだろうと切ない気分になりました。

でも米花さんが面白いこと言ってました。
光一さんの「夏だから俺も日サロで焼くかーって行ってきた」という言葉に、米花さん一喝。

「夏なのに海じゃなくて日サロって……!」

米花さんの言葉に光一さんはっと気づいたように米花さんを振り返って。

「俺ってカワイソウ!?」

って言っててそのやり取りが可愛かったです。ちょっとカワイソウだと思います。と米花さんは正直でした(笑)
なんだかんだ米花さんは光一さんのこと凄い好きなんだなと思います。ナルトのパンフで唯一光一さんの名前出してくれた御仁ですからね……いい子だなぁ。

 

***

 

という懐かしいレポ。

今となってはMAはとても懐かしい存在ですが、大好きでした。彼らの未来に幸多からんことを祈ります。

光一さんが日サロ!?って当時は吃驚したなーという想い出です。27歳の頃か~10年前ですね。

 

***

 

もうひとつのレポもついでに載せておきます。

 

あんまりにもすんどめ(サンドーム福井)のレポがかわいかったので。
昔はソロコンでも剛さんの話してたんだなぁって懐かしい気持ちになりました。
私は日本全国の中で一番サンドーム福井という会場が好きです。
とりあえず誰でもいいからやってくれるんならいきたい。そんくらいすき。
そんなわけで10年くらい前の日記から抜粋。



何度も何度も耳タコなくらい聴いた話なのにまだ話したがる光一さんの話。

土曜日。
秋山さんのケツを触ってた光一さんが「ケツさわんないでください」と秋山さんに咎められ「エレベーターに乗ったときとかつよしと二人きりになって気まずいからつよしのケツさわんねん」といつもの話題を。
「秋山振り返ってくれるからまだええよ、つよし無反応やもん」と拗ねる光一さん。秋山さん、苦笑しながら「あー長年いたらそんなもんっすよ」と。けれども光一さん「反応してくれてもええやんー」とまだ拗ねる。そしたら秋山さん「夫婦みたいなもんですから!」……それで光一さん黙りました。
 この頃は夫婦って呼ばれてもそんなに気にしてないようなかんじがしますけどどうなんでしょうね。(苦笑)

日曜日。
あ、今日は剛さんの話は無いんだ。と思ったのもつかの間。スタッフに「巻きで」と言われているにもかかわらず、光一さん「鯖江はメガネの産地なんやって? 日本で90%、世界でも20%!」と話し始める。
「目ぇ悪いひと!」とMAに視力のことをきいてみる。それから視力の話をしてたんですが、「俺本番中にコンタクト飛ばしたことある」とまたどっかで聴いた話題に突入。

「でも踊りながら落ちたコンタクトがどこにあんのか気付けんの。俺目ぇ悪くないやん! みたいな」この話をしてる光一さんは異様に可愛かったです。

ジュニアが踏むんちゃうかとひやひやした話に続き、踊りながらぺろっと人差し指舐めてコンタクト拾うしぐさをやってくれました。(人差し指舐めるとこ可愛い。)
そんで拾って、(誰も気付いてへん!)と大満足でコンサートを終えると、剛さんに「おまえ今日コンタクトおとしたやろー」(剛さんの口調を真似る)って言われんねん!
「ええおまえ気付いたん?」
「んなの気付くわ」みたいな。楽しそうに話しててなによりです!

 

***

 

昔は剛さんの話も気にせずしてくれたし、それはそれで聴いてて楽しかったです。

今それをしない理由も解っているので大変だなぁ、と思うのでした。

ふたりがふたりで楽しいならそれが一番いいのになぁって思います。

 

 

 

 

 

ジャニーズパワーという神番組

ジャニパワが台湾で放送された当時、というのはあんまり定かではないんですが2000年~2003年くらいの間だったように思います。

此処を調べないところが自分の悪いところですね。今ほら、何でもあるから調べる方法って。(他人任せ)

インターネットって今でこそスマホもあるしPCも一家に一台あってもおかしくないしなんならタブレットもあるわけで。

私はばばあなので1990年代から使ってるんですが、当時は電話回線でジジジジジって変な音させて使ってたわけです。1分〇円、みたいな感じで課金されてくので怖ろしくて10分使って終了させてた覚えがあります。そこからADSLになって「なんだこの繋がりやすさ!」って思ってたらあっという間に光ですもんね、此処20年のインターネット世界って言うのは物凄い速さで進んでいると思います。(ばばあ回顧録おわり)

で、ジャニーズパワーという番組はJフレが好きだ!って世代ならばもれなく知ってる番組だと思うんですが、これ当時日本では放送されない台湾の番組でした。

V6さんとキンキさんとトキオさん(多分このあたり)がそれぞれ好き勝手にお題を与えられうだうだと(テキパキと)やってる番組でした。今で言うところのネット配信番組と似ている気がします。(民放では流せないと判断されるであろうぐだぐだ感)

記憶がないのでまぁとりあえず2002年ごろ、と考えるとこの番組を日本で見る方法が皆無なわけです(笑)「え? つべ見りゃいいじゃん」「ニコ動で上がるでしょ」ていうか「デイリーモーションあるやん」って今なら言えます。今なら言える。

でも2002年当時というものはまだYOUTUBEすら誕生していない時代。「台湾でなんか楽しそうな番組やってるらしいよ!」「なんだそれ!!日本でやらんのか!!」「見たい!!!!!」ってなるわけです。

見られないから余計に!!

で、当時は台湾にお友達がいる日本人のお友達がビデオ(当時はビデオだったんです。DVDも存在していましたがデッキが無かったりして主流はビデオだったと思います。この数年後にDVDに変遷します)を拡散してくれて、友達の友達の友達から回って来る(すでにどこから回って来たのか解らない)のを「な、なんだこの可愛いの!!! 楽屋じゃないか!!! ラジオ並にゆるい!!」(キンキさん)と涎を垂らしながら見ていました。

とにかく可愛いわけです。私はキンキさん中心でしか見てないんですが、ピンクのイルカを釣る光一さんと青いサバを釣る剛さんの回とか奇跡のように可愛いわけです。ただ二人がくっちゃべりながら釣りゲームして釣った魚数えてるだけなんですけど。緩さといい会話の内容といい、雰囲気といい、素晴らしいキンキさんが堪能できます。そのほかにもいっぱい可愛いのありますけど!! 足つぼの二人は見てはいけないような淫靡さを感じます、可愛いけども!(笑)

で、何の話かと言いますと、当時台湾(他の国も流れてたんでしょうか? 字幕の言語見る限り台湾だけかなと思うんですけど)で、台湾のために作られていたジャニパワって番組は、日本では放送されなかったわけで。

と考えると、昨日「ネット戦略考えたほうがいいんちゃうか」と図々しいことを書いたんですけど、当時、事務所は「諸外国戦略」を一応考えた上で番組作ってた、ということになりますよね。(CMがWinkupだったのでワニブックスが出資してる可能性もありますけど。ワニっていうかKKブックスになるんだろうか、謎です)

10年以上前にちゃんと「日本以外の国」を考えて進出していたのは一体だれの指示だったんだろうなぁ、と思うし唐突に終わってしまったのは一体何故? と思うし、今も昔もJ事務所の「国外戦略」ってとっても不思議だなぁと思います。

「戦略」という意味で一番「やりよったな」と思ったのはSMAPさんの北京公演。

中国に詳しい子に当時話を聞いたのですが中国では「北京」という土地は政府管轄であるから芸能が自由に立ち入れる場所ではないらしく、芸能人が公演するのであれば香港、上海、澳門あたりが妥当なんだそうです。そもそも中国の芸能事情が特殊らしく中国にも勿論芸能事務所は存在しているんですが、デビューして本格的に芸能界を目指すのであれば「台湾に行った方が早い」という鉄則があるらしいです。(あくまで私の友人の談ですが)

台湾の芸能事務所のほうがしっかりしているらしく、そこでちゃんと育てて貰って中国に帰って花開く、ということが多いそうです。

それを聴いて思い出したのがEXO。私、EXOも好きでコンサート行ったことあるんですが(節操がないとはこのことです)EXOに所属していたクリスとルハン。私はMが好きだったので(物凄く簡単に説明するとEXOっていうのは韓国のSM事務所所属の男性アイドルでKとMに分かれて活動し、一緒に揃っても活動するって言う解りやすいたとえだとV6で活動する彼らがカミセンとトニセンに分かれる感じです。ちなみにV6は年齢で分かれてますがEXOはMが中国、Kが韓国、でMのほうは中国人メンバーと韓国人メンバーの混合、てかんじです)クリスもルハンも大好きだったんですが、この子達は既に脱退しているんです、EXOを。

で、私は特にルハンが好きだったのでルハンのその後しか知らないのですが、ルハンは中国で現在芸能活動をしています。脱退、ショックだったんですがよく考えたらその「台湾の芸能事務所で育てて貰って中国に返り咲く」というのを「韓国の事務所に育てて貰って中国に返り咲く」というのに似通う箇所があるな、と思ったわけです。

わー大分、大分遠い話になってる! 違う、この話じゃない、戻そう。

SMAPが中国、しかも北京で公演をしたっていうのは誰もが気付く通り政治的意味を持っている公演だったのだと思います。香港でも上海でもなく「北京」なわけですから。

これ今はてな用に書いてるので昔のブログから話題引っ張ってきてないんですが、その当時こういう政治的要素があるんじゃないかって書いた記憶があるんですが「どういう政治的要素があったか」をさっぱり忘れてるのでまた過去のブログ漁ってきます。当時の日本と中国の関係からおさらいせんとあかんですね。

ええと、結論から言うとJ事務所の所属アイドルというのは政治的な意図が絡むくらいに「影響力が大きい」ということです。

ネット戦略もなしに何故かやたらと大きくなって諸外国が日本の男性アイドルと言えば「ジャニーズである」、ってことを知ってる現状はほんとにすごいことだし、何故ジャニパワであの時期にプロモーションかけてたのに今は何もやってないの。とちょっと残念に思ったりします。

というこれを書いた理由はボイメンの番組を見たからなんですが。ボイメン、名古屋の希望の星、男性アイドルグループなんですが私この子達を深夜番組でかなり昔から見てるので世界制覇の話きいてびっくりしたんですよ。タイで番組持ってるとかタイで単独ライブやるとか。本当に頑張ってるなぁってしみじみ思って。

ジャニーズもそういうのやってくれてもいいのにな、と思います。勿論アジアツアーを各グループがやってるのは知ってますしそればっかりやられても「ま、待って!海外までおっかけるのきつい!」となるのは目に見えてるわけですが、なんか折角なら「すごいこたちがいるんだよー」ていうのを知ってほしいという私の勝手な我儘な話なのでした。というか芸能とか文化って政治の話より絶対垣根が無く親交を深めることができるからすごくいいコンテンツなのになぁっていう戯言でした。

 

ただ、此処まで書いてアレですけど「日本以外に出ていく理由がない」というのもわからんわけでもないんです。日本の音楽市場は世界2位(AKBが売り上げとんでもないときは場合によっては世界1位)。そんな市場において「別に外国出て行かなくてもいいじゃない」というのはあると思います。韓国のアイドルが日本に輸入されるのは韓国の音楽市場が日本の市場と比べて大分小さいからです。稼ぐならアメリカという未開の地よりも日本のほうが勝算がある、という理由。ボイメンに関しても3代目やなんかのエグザイル系とJ事務所がはびこる日本ではパワーバランスが違いすぎるので諸外国で勝負、というのも理解はしているんです。

でも利害関係を抜きにした場合、海外でも受け入れて貰えるっていうのはありがたいことだし、それで日本のこと知ってもらえるのは嬉しいと思うし、世界平和なんて言葉を大々的に叫べるほどに若くもないですから(ばばあはやっぱりばばあだな!by上田)そんな大それたことも思ってるわけじゃないんですが、かわいい子たちを知ってもらって楽しんでもらえたら嬉しいやないか~!!!!って思ってるわけです。

ジャニパワをやってた当時の事務所の方針と今とで何が変わったんだろうなぁ。一介のファンが知り得るところではありませんが、気になる箇所です。

今だったらネット配信でああいう番組やってくれてもいいのになーと思うのでした。いや、正月の各グループの動画は可愛かったけどももっと長いことやってくれたら嬉しいのになー忙しい人たちにそんなこと言うのも酷か(苦笑)

事務所の海外とのかかわりっていうのはよくわかんないんですけど、とりあえずパンダの話をしようじゃないか、そのうち。と思います。

 

徒然に書いたブログを読んでもらうという機会があまり無く、ただくっちゃべる趣旨で書いてるブログも初めてなので読んでくださる方には感謝しています。ありがとうございます。星くださった方もありがとうございました!!びっくりしました。読んでくださってる方いらっしゃったんだ!!って。

ありがとうござました。

 

追記。

ジャニパワはつべに落ちているのでぜひ見てみてください。(リンク貼れよ)

事務所の戦略如何は良く知りません。

顔認証。
一番最初に思ったのは「それならまず外国の人たちのファンクラブ加入もできるようにしたらいいのに」でした。どうなんだろ? 日本の住所が無いと加入できなかったように思うんですが。
J事務所、プロモーションかけてないのに結構海外のお客様がいらっしゃるから、そのへん考えたほうがいいのにな、と思いました。
来日するのだって頑張ってると思うんですよ……
私はやったことないですけど、東方神起が好きだった頃(というか今でも好きですが)、韓国でライブやったり中国でライブやったりした際に結構大変な思いしてチケット手に入れて(しかも中には仲介業者が悪質で金だけ請求してチケット無いとか頻発する)、渡韓して、ってやってるファンはたくさんいましたが、それはそれで熱意ある行為でいいことだと思うんです。(ちゃんと韓国や中国のファンもチケットを取れているのであれば)
J事務所はそのあたり切り捨てると勿体ないと思うんだけどなぁ。海外ファンが日本に落としてくださるお金って相当なものだと思いますが……
J事務所の海外ファン、多いと思うんだけどなぁ……
韓国の方々の要望ハガキのツイを時折見かけるんですが、韓国のペン(韓国語で「ファン」は「ペン」です。なのでキンキファンだと「キンキペン」)の活動って日本のファン活動と違って物凄いアイドルに寄り添うというか精力的というか……ともかく凄いです。
光一さんの海外ソロコンの後で渋谷かどっかのエキシビジョンに光一さんありがとう!て映像を韓国の子達が出してましたが、韓国はあれが普通なんです。

私も東方神起ハマらなかったら全く知らない事実でしたが、韓国の場合は普通の市バスのようなバスの車体に「お誕生日おめでとう〇〇!」って広告出すのは結構ありますし地下鉄の車内広告に「コンサートありがとう〇〇周年おめでとう!」を有志が募って出したりしてます。

自分の好きなアイドルが舞台に出たら、お米を贈るという恒例行事もありますし……あと私が凄いと思ったのは東方神起のユノのファン。

ユノは慈善事業をよくしている人で、私が見てきたアイドルの中で尤も清く正しい道を歩いてるアイドルだと思うのですが(なにからなにまですごいというか……私はキンキさんが一番好きですが、ユノのアイドル性というのはまた別格で「どうしたらそんなに自分の人生に潔白でいられるんだろう、それは辛くないんだろうか」と思うくらい凄いです。長くなるので端折りますが、内容は)、ユノのファンはユノを見習って恵まれない子達に「ユノペン(ユノのファン)」名義で募金をしたりします。すんごいなっておもう。(これだけ書いておいてあれですがチャンミンのファンです、どちらかといえば笑)
韓国のファンのファン活動って本当にいろいろとんでもないなーと思いますがバイタリティ溢れてて見ている分にはとても興味深いです。
ちなみにペンカフェ、という私設ファンクラブが多々存在していて、その中のリーダーが事務所と連絡を取ったりファンミーティングのマネージメントをしたりするという……とても変わったシステムです。
知れば知るほど韓国のアイドルのシステムは興味深いです。

まぁそれはさておき、顔認証。
私個人は「そっかー今回は行けないなー」と思って残念ではありますが(ファンクラブの期限が切れてる)、諸々の難点がクリアできるのであればやってもいいんじゃないかとは思います。
ただ、それより前にお金を先に振込ませて手数料ぶんだくるやり方のほうがや辞めて頂きたいですけどね(笑)嵐ちゃんは当選してから振込なんだから全グループでそれできるだろうに……
でもまぁ顔認証とかはダブ屋にお金持っていかれるよりはいいんでしょうけど。ダフ屋のお金はヤクザに渡って最終的には北と繋がる気がしています……(まぁあの国とは限らないけどダーティーな方向にお金が落ちるのは確かだろうと思う)あぶないんだよってもっと若い子に知ってほしい……(北と繋がるってことはその合間合間に今騒がれてるクスリの売買があってそういうとこの資金源にされてるのかもしんないよってことです。となれば芸能人をそのクスリと隣り合わせにしてるのは物凄く広い目で見たらそのダフ屋へ渡ったお金なのかもしんないよ、ってことです)
今は様子見なんだろうなぁと思いつつ、キンキさんにそれが導入されるのはまだまだ先何じゃないかと思います。顔認証とは言わないからまずは先に振込をする、手数料しか戻ってこないというあの阿漕な商売をなんとかしてほしい。
「とれるとこからはとっとけ!」みたいなのが垣間見えるやり方はどうかなぁって思いますがこういう愚痴ばっかかいててチケ当たらなくなるのもなぁって思ったりするのでした(苦笑)
QRコードのチケットは楽です(昔これでコンサート行ったことある)。が、これなんの不具合か知らないけど「入れないひと」も出て「どういうこと!?」って混乱してたなぁと3年くらい前かな、そういうのを思い出します。
ミスチルみたいに選べるようにしたらいいのにねぇ……ミスチルは紙のチケットかQRコードか選べて便利。

あとはパフュちゃんのファンクラブは凄いシステムだからああいうのを真似してほしい。都合で行けなくなったコンサートのチケットをファン同士でやりとりができるシステムをファンクラブ内で構築してると言う。ほんとうに凄い。ファン想いだと思う。(余談ですがperfumeのコンサートは素晴らしいです。あの三人は本当に凄い)


でも色々事務所がやろうとしてくれてるんだなということに関してはありがたいことなので今後も期待したいです。

とりあえず海外ファンも大事だと思うのでそこだけ救済してほしいなぁ……みんな楽しめた方がいいよ……

ついでに誰も読まないだろうから書いちゃうけど肖像権の問題で未だにネットに顔が出ないアイドルはどうかなぁと思います。気持ちはわかるけども! 結局それでネットを上手く使う韓流アイドルは他国ではJ事務所の上をいってしまっているわけで。(まさかのブータンでも韓国人になりたいと思ってる方は一定層いらっしゃるそうです。これはもうプロモーションの勝利だとしか言いようがない)

韓流アイドルのコンセプトとJ事務所のアイドルのコンセプトは全く別物なので(日本のアイドルは「育てるのを楽しみにする」のが主で韓流の場合は「最初から完璧なものを魅せる」という違いがある気がします。現に韓流アイドルは「長身」が基本ですし(まああれはお国柄もありますけど。長身が美徳)「歌が上手い」ことも最低限のスペック)張り合えとは言えませんが、それでも諸外国からJ事務所の存在を知って「好きです」って言ってくれる方がいるのであればもう少しネット戦略は考えてもいいんじゃないかと思ったりします。勿体ない。良いコンテンツだと思うんですけども。

韓流、といって切り捨てるのは楽にできますが、今まで他国で一定層のファンがいたであろう「日本のコンテンツ」がそれによって上書きされている事実は、もう少し頭の隅に置いておいてもいいんじゃないかと思います。

 

パーフェクトヒューマン④

オリエンタルラジオPERFECT HUMANの何が面白いのかを自分の記録用として残しておきます。

 

お笑いというものが何なのか、という話は過去の芸人さんたちが重ねてきた論議があるので割愛しますが、個人的には映画アウトレイジ発表後の北野武監督のインタビュー(確かキネマ旬報)で読んだ「お笑いは暴力である」というのが一番納得できます。ちょっと話は逸れるけどアウトレイジの暴力シーンはお笑いの延長線上にあるんだそう。

お笑いってまず「ボケ」と「ツッコミ」で成立するものですが「ボケ」というのは基本的には「人より劣るところを見せる役割」だと思います。劣る、というと言葉は悪いか。「普通」ではないことが求められる役割、と言ったほうがいいのかも。でも結果的に「笑う」という行為はその「普通ではない状態を自分と比べて劣っているから笑う」ということに繋がるので結局はやっぱり「劣るところを敢えて見せる役割」なのか。

そのボケを意図的に馬鹿にする・叩く、ということでボケの長所(お笑いの中では長所だけども一般生活では短所に変わるであろうところ)を生かす役割が「ツッコミ」だと思います。

あんまりなんにも考えなくても漫才って笑えますが、笑う「ネタ」というのは大抵のものは「何処かを卑下するもの」なんじゃないかと。ハゲネタ、デブネタ、不細工ネタ、等の「容姿ネタ」というのはその「暴力」というのに最も近い場所にある気がします。

本来の実生活では「触れてはいけない箇所」であり「見ない振りをする」のが普通。けれどもお笑いの世界ではそれが「ネタ持ち」と呼ばれるくらいに持て囃されるわけで。だからと言って容姿は簡単に変えられる物でもないのでお笑いの世界では「笑いを取る道具」だとしてもそれについて実生活で悩む芸人さんだっていないわけではないのだと思います。

けれども見ている観客はそれを無視して「ネタを楽しむ」。お笑いの世界なので自分たちも貶すことを許されているから「笑いが起きる」という。

容姿ネタ以外でも基本的には「滑稽であることを笑う」ことが多い漫才の世界だと思いますが(勿論そうでないネタもありますが、一番わかりやすいネタは「普通とは違う滑稽な姿」だと思います)、実社会で見たら「いじめの構図」というのはある意味正解ではないかと感じます。

私は漫才もコントも好きなので別にそれが悪いって話じゃなくて、そういう一端もあるんじゃないか、っていう話なだけです。これに関しては議論するつもりが全くないので「私が勝手にそう感じてる」だけです。

で、ここからが結論。

パーフェクトヒューマンが面白い理由。

それは、彼らが誰も貶していないというタイプの笑いだから。

武勇伝の「あっちゃんかっこいー!」の頃からオリラジってずっと「貶さない」んですよね、相手を。武勇伝はリズムネタだからリズムのほうに気を取られがちですがネタの内容としては「バス停2mmずらす」とか「露出狂達を南極に」とか……あ、母さんのメシがマズイのは貶してるか(苦笑)

ただ、漫才の相手、というのに特化していえばネタ中で貶さないわけです。

ひたすら「あっちゃんかっこいー!」でツッコミを入れるという、今考えたら10年前から斬新な方法でネタやってるんですね、オリラジって。似たような形で「ボケがあまりにボケとして使えないから」っていうので普通のボケとツッコミの形でなくなったのがドリーちゃんですけど、お笑いって年々進化していくもんなんですね。

で、10年経って出してきたネタが「相方を崇め奉る歌ネタ」っていうのは本当にもう凄いとしかいいようがないです。何処までも相方を貶さない。自分はパーフェクトヒューマンだって言ってるあっちゃんと、そうだよ彼は新しい神だよ!その血と魂を捧げようぜ!って言っちゃう藤森君。

もう誰がボケで誰がツッコミかすらも解らなくなってますが、ボケにボケ被せてるように見えてこの人たちが面白いのは「本気」だってことだと思います。

松本さんが言ってましたが「笑わせる気が無いところに笑ってしまう」というのは確かに、と思う節もあれば見様によってはやっていることすべてが「茶番として笑える」という節もあるのではないかと。

もしかしたら「それを狙ってるんじゃないの?」とすら思えてきますが(笑)

そしてもうひとつ思うのはこのネタが「武勇伝」からの進化形のネタだということで、10年前の武勇伝が基盤となって最終的にこの形態に落ち着いたのであれば、これはもう10年をかけた「ネタ」なんではないかと。

パーフェクトヒューマンは武勇伝の「オチ」の部分なのではないかと思うわけです。

武勇伝が生まれていなければパーフェクトヒューマンはここまで持て囃されることもなかったのではないかと思います。あっちゃんかっこいー! がついに神様になっちゃったよ! ってところまできてしまったのが最高の「オチ」なのではないかと。

「暴力」であるお笑いの反対側を突き詰めたのが「信仰」というパーフェクトヒューマンではないかと感じています。人を貶さない代わりにとことん崇め奉る、それでも「笑いが成立する」ってことを証明できたことは、お笑いの世界において、新しい表現方法が生まれた瞬間でもあるんじゃないかと。

 

そんなことをパーフェクトヒューマン見てゲラゲラ笑いながら思うのでした。リズムネタの進化形っていう評価よりも個人的にはお笑いの表現方法としての進化形。っていう評価のほうが納得します。

 10年経ってこういう面白いものを見せて貰えるのって楽しいなぁと思うのでした。オリラジ、密やかにこれからも応援してます。(変態とか書いててすみません笑)

 

これ書いた後に久しぶりに2011年のしゃべくりを見ました。当時リアルタイムで見てた時は(この頃ドリーちゃんやハマカン、流れ星らへんが凄く好きでお笑い番組をちゃんと見てた時期)「わーこのチャラさしんどいだろうなぁ」って脱力してる藤森君見て思ってましたが、今日久しぶりに見たらあれもうほんとうに凄い。凄すぎだろうチャラ男!!! と泰造さんと一緒に「しんごおおお!!!」って叫びたい気持ちになりました。とんでもない回だなぁと。あそこまで自分を売れるのは凄い。

って思うともうあの時から覚悟はあるんだよなぁ、業界での。というのが今日しみじみ解ってみて良かったです、しゃべくり。めっちゃ笑った。めちゃくちゃ面白かった。ギリギリは「気の毒だなぁ」って思っちゃうことが多くて実は苦手な部類なんですがあのポップな感じ、全員を巻き込んで盛り上げていく感じ、高揚感があって凄かったです。

チャラ男キャラを真面目に追求しないとあそこまで行かないので素晴らしい回だったんだなぁと今更のようにちょっと感動してしまいました。あっちゃんの持ち込み企画、正しかったんだなとしみじみ。あれ相方の力量信用してないと無理だもんなぁとか色々思いました。すご。

 

 

 

 

アンチの意義を好意的に考えてみる。

キンキさんのアンチ意見(アンリー的なものも含め)、定期的に読みます。ドMか(笑)
ただ、昔からずっとそうなので単純に「良い意見も読んだから悪い意見も読んでおこう」ってことなんですが、よくよく考えると「別に悪い意見は必要ないんじゃ?」とも思うという(苦笑)
若い頃だと感化されるところもあるのであんま読まない方がいいと思うんですがもうばばあなので読んだところで自分の意見が曲げられるわけでもなく(ばばあは往々にして頑固笑)、考え方の相違として「ふーん」と思う。という感じです。
自分の性格的に、というよりはてんびん座の宿命なんじゃないかと疑っています。占いは信じる信じない自由だと思いますが、てんびん座って「公平」が美徳だと思ってる節があって、こっちの意見を見たんだから違う意見も見ないと公平にならんでしょ、というのがあるわけです。
なのでこの件に関しては星座の所為だな、と思ってます。
あとは血液型の所為じゃないか? とも思ってます。対外的な意見がやたら気になる自意識が過剰なABだからなぁ……という。気になる割には自意識が高すぎて改善はしないんですけど(多分ABってそういう悪い個所があると思う)。
血液型占いに関してはアジアの僅かな範囲だけで流行ってるもんなので信憑性はありませんが、ここまで「定着している」という点から見たらステレオタイプは自然に生まれてるんじゃないかとも思ったり。(占い如何というよりも「Aはこう」「Bはこう」みたいなイメージが既に国民に定着してしまっているという意味でのステレオタイプ)
という「外因」を考えること自体がそもそもの自分の個性を信用していないだけちゃうかとも思うんですが、外因の所為にしたい。ドMじゃないと思ってます(笑)
でも長く続けてるアンチっていうのはファンだったんだなぁ(もしくは今でもある意味ファン)とは思います。だってそんな、嫌いになったら普通は執着しないわけで。対象物に関して延々とネチネチと言い続けるにも体力も精神力も必要だと思うわけです。正直嫌いだったらどーでもいわけで無視するのが一番いいわけですから。
それをあえてせずに対象物に憎悪の念をおくると言うのは、やっぱりひん曲がってるけどファンなんだろうなとも思うのでした。それを純粋に応援しているファンと同義で語ってはいけない気もするけど。
でも他人の人生に憎悪を向ける、というのは自分の人生に跳ね返ってはこないんだろうかと考えたりします。
「気」の問題になると胡散臭い話になるのでなんとなくの感覚でしかないですけど「人を呪わば穴二つ」なんて言葉があるわけですから(人の事殺したいくらい呪って(墓)穴掘っても自分もその隣(の穴)に埋まることになるよ←適当な注釈)、昔っからそういう「負の感情」ていうものは結果自分に戻って来るもんなんだなと理解されてるわけで。
アンチの存在というものは消えることはないけれど、あんまりよい未来が待ってるとも思えんなぁ、というのが感想です。
あとは他人の人生を云々言ってるという時間があること自体、自分の人生を考える時間をそこに宛ててるわけだから自分を客観視しなくていいっていう利点はあるんだろうなぁ。他人の事愚痴ってれば自分の人生顧みなくて済みますし。それが出来ること自体、自分の人生に悩みが無いっていう事も考えられるし。(自分の事で悩んでたらアイドルや芸人相手に文句を言ってる時間はない)
と思うと、飽食の時代ならではの産物なのかなーアンチって。とも思うのでした。アンチっていつから存在してるんだろう。そのうち調べてみようと思います。
与党に対して野党がありますけど野党って別にアンチなわけでもないしなー(今の野党のやってることはただの自民党アンチなので見るに堪えないところはありますが。建設的じゃ無さ過ぎてがっくりする)本来は建設的な意見を提出して「国民の生活をよりよくするため」の政治だと思いますが、アンチ化してるのを見てると「自分を上げるために他を貶す」という事自体が一般化されすぎてるんじゃないかとも思ってみたり。野党の本来の存在意義がどこをどうしてアンチと化すのかと思うとがっくりですがそれも時代なのかなー……
「建設的な意見を述べる(それが例えば現在行っていることに関しての反対意見であっても)」というのはアンチ何だろうかと思うとアンチでは無い気がするんですよね。「よりよくなってほしい」という助言のつもりであるものが「それはアンチだ」とレッテルを張られる可能性もある。ファンが否定的な言葉をひとつでも発したらアンチ、となってしまうのであればそれはそれで「どうなのかなぁ」とも思うんですがネットがここまで普及してしまった昨今、言葉の真意なんてものは「文字であらわす限界」があると思うので「対面で文句を言う」のとはまた違った捉えられ方をするんだろうなーとか。
ただ、その人が「相手に対して対面で反対意見を言える」のであればアンチじゃないような気も。基本的にアンチっていうのはイジメにも近いと思うので「陰でこそこそ言う」「匿名を使う、本名は明かさない」っていうのであればそれはアンチなのかなと。
顔出して堂々と反対意見を言う、というのであればまぁ納得はできるんですがこのネット社会でそれやれる人がいたら多分精神の病気を一番に心配されると思うのでアンチ云々の話でもなくなるような。
だからまぁ結局は必要悪なのかな、と思ってます。
皆がみんな褒め称えて崇め奉ってしまったらその対象物はよっぽどの精神力が無い限り「神」になってしまうわけで。アンチの存在意義ってそこだけのような気がする。「神」ではなく対象物を「人」として存在できるようにするストッパーのような。ただそれは対象物が「アンチと言う存在」を認識していないと始まらない話ですが。
対象物は「人」であったほうが絶対良いと思います。
「神」になっちゃうとろくなことが無いと思う。神は創造物として存在していればいいだけで「人が神になる」なんていうのは無理です。誰か、個人の神になることはあると思う。アイドルはそもそも「偶像」何の偶像かといえば「神の偶像」なので、個人がそのひとを信望するのは別段何の差しさわりもない。問題は対象物が自分を「神」と思ったらもうおしまいだということだと思います。
その意味でアンチはストッパーだと。

アンチってなんなんだろうなーと考え始めるとそこらへんのことくらいしか思いつきませんでした。
ただ、他人の人生にこの上ない憎悪を押し付けることができる、というのも稀有なもんだなと思います。結局は跳ね返ってくるものだと思いますが何故跳ね返って来たか、というのはアンチ自身には理解できる日はこないのかもしれない……とか意地の悪いことを思うのでありました(笑)
なんだこれ、結局私の性格が良くないことが露呈してるだけの話になってきたぞやめとこうもう。
とりあえずアンチの歴史は調べてみたいです。

アンチに関しては手越くんの考え方がすんごい好きです。
俺のことがすき! っていう結論に落ち着くとこ最強だと思う。
前向きな人に後ろ向きな人は絶対敵わないんだなってあれ見てると痛感します。