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パーフェクトヒューマン④

オリエンタルラジオPERFECT HUMANの何が面白いのかを自分の記録用として残しておきます。

 

お笑いというものが何なのか、という話は過去の芸人さんたちが重ねてきた論議があるので割愛しますが、個人的には映画アウトレイジ発表後の北野武監督のインタビュー(確かキネマ旬報)で読んだ「お笑いは暴力である」というのが一番納得できます。ちょっと話は逸れるけどアウトレイジの暴力シーンはお笑いの延長線上にあるんだそう。

お笑いってまず「ボケ」と「ツッコミ」で成立するものですが「ボケ」というのは基本的には「人より劣るところを見せる役割」だと思います。劣る、というと言葉は悪いか。「普通」ではないことが求められる役割、と言ったほうがいいのかも。でも結果的に「笑う」という行為はその「普通ではない状態を自分と比べて劣っているから笑う」ということに繋がるので結局はやっぱり「劣るところを敢えて見せる役割」なのか。

そのボケを意図的に馬鹿にする・叩く、ということでボケの長所(お笑いの中では長所だけども一般生活では短所に変わるであろうところ)を生かす役割が「ツッコミ」だと思います。

あんまりなんにも考えなくても漫才って笑えますが、笑う「ネタ」というのは大抵のものは「何処かを卑下するもの」なんじゃないかと。ハゲネタ、デブネタ、不細工ネタ、等の「容姿ネタ」というのはその「暴力」というのに最も近い場所にある気がします。

本来の実生活では「触れてはいけない箇所」であり「見ない振りをする」のが普通。けれどもお笑いの世界ではそれが「ネタ持ち」と呼ばれるくらいに持て囃されるわけで。だからと言って容姿は簡単に変えられる物でもないのでお笑いの世界では「笑いを取る道具」だとしてもそれについて実生活で悩む芸人さんだっていないわけではないのだと思います。

けれども見ている観客はそれを無視して「ネタを楽しむ」。お笑いの世界なので自分たちも貶すことを許されているから「笑いが起きる」という。

容姿ネタ以外でも基本的には「滑稽であることを笑う」ことが多い漫才の世界だと思いますが(勿論そうでないネタもありますが、一番わかりやすいネタは「普通とは違う滑稽な姿」だと思います)、実社会で見たら「いじめの構図」というのはある意味正解ではないかと感じます。

私は漫才もコントも好きなので別にそれが悪いって話じゃなくて、そういう一端もあるんじゃないか、っていう話なだけです。これに関しては議論するつもりが全くないので「私が勝手にそう感じてる」だけです。

で、ここからが結論。

パーフェクトヒューマンが面白い理由。

それは、彼らが誰も貶していないというタイプの笑いだから。

武勇伝の「あっちゃんかっこいー!」の頃からオリラジってずっと「貶さない」んですよね、相手を。武勇伝はリズムネタだからリズムのほうに気を取られがちですがネタの内容としては「バス停2mmずらす」とか「露出狂達を南極に」とか……あ、母さんのメシがマズイのは貶してるか(苦笑)

ただ、漫才の相手、というのに特化していえばネタ中で貶さないわけです。

ひたすら「あっちゃんかっこいー!」でツッコミを入れるという、今考えたら10年前から斬新な方法でネタやってるんですね、オリラジって。似たような形で「ボケがあまりにボケとして使えないから」っていうので普通のボケとツッコミの形でなくなったのがドリーちゃんですけど、お笑いって年々進化していくもんなんですね。

で、10年経って出してきたネタが「相方を崇め奉る歌ネタ」っていうのは本当にもう凄いとしかいいようがないです。何処までも相方を貶さない。自分はパーフェクトヒューマンだって言ってるあっちゃんと、そうだよ彼は新しい神だよ!その血と魂を捧げようぜ!って言っちゃう藤森君。

もう誰がボケで誰がツッコミかすらも解らなくなってますが、ボケにボケ被せてるように見えてこの人たちが面白いのは「本気」だってことだと思います。

松本さんが言ってましたが「笑わせる気が無いところに笑ってしまう」というのは確かに、と思う節もあれば見様によってはやっていることすべてが「茶番として笑える」という節もあるのではないかと。

もしかしたら「それを狙ってるんじゃないの?」とすら思えてきますが(笑)

そしてもうひとつ思うのはこのネタが「武勇伝」からの進化形のネタだということで、10年前の武勇伝が基盤となって最終的にこの形態に落ち着いたのであれば、これはもう10年をかけた「ネタ」なんではないかと。

パーフェクトヒューマンは武勇伝の「オチ」の部分なのではないかと思うわけです。

武勇伝が生まれていなければパーフェクトヒューマンはここまで持て囃されることもなかったのではないかと思います。あっちゃんかっこいー! がついに神様になっちゃったよ! ってところまできてしまったのが最高の「オチ」なのではないかと。

「暴力」であるお笑いの反対側を突き詰めたのが「信仰」というパーフェクトヒューマンではないかと感じています。人を貶さない代わりにとことん崇め奉る、それでも「笑いが成立する」ってことを証明できたことは、お笑いの世界において、新しい表現方法が生まれた瞬間でもあるんじゃないかと。

 

そんなことをパーフェクトヒューマン見てゲラゲラ笑いながら思うのでした。リズムネタの進化形っていう評価よりも個人的にはお笑いの表現方法としての進化形。っていう評価のほうが納得します。

 10年経ってこういう面白いものを見せて貰えるのって楽しいなぁと思うのでした。オリラジ、密やかにこれからも応援してます。(変態とか書いててすみません笑)

 

これ書いた後に久しぶりに2011年のしゃべくりを見ました。当時リアルタイムで見てた時は(この頃ドリーちゃんやハマカン、流れ星らへんが凄く好きでお笑い番組をちゃんと見てた時期)「わーこのチャラさしんどいだろうなぁ」って脱力してる藤森君見て思ってましたが、今日久しぶりに見たらあれもうほんとうに凄い。凄すぎだろうチャラ男!!! と泰造さんと一緒に「しんごおおお!!!」って叫びたい気持ちになりました。とんでもない回だなぁと。あそこまで自分を売れるのは凄い。

って思うともうあの時から覚悟はあるんだよなぁ、業界での。というのが今日しみじみ解ってみて良かったです、しゃべくり。めっちゃ笑った。めちゃくちゃ面白かった。ギリギリは「気の毒だなぁ」って思っちゃうことが多くて実は苦手な部類なんですがあのポップな感じ、全員を巻き込んで盛り上げていく感じ、高揚感があって凄かったです。

チャラ男キャラを真面目に追求しないとあそこまで行かないので素晴らしい回だったんだなぁと今更のようにちょっと感動してしまいました。あっちゃんの持ち込み企画、正しかったんだなとしみじみ。あれ相方の力量信用してないと無理だもんなぁとか色々思いました。すご。