遊星歯車機構

主に三次元

2013年2月SHOCK感想

2013年の2月の話。

今年初のSHOCK、観て来ました。
もうこの日のために私仕事頑張ったよ……手帳見ても無造作に「仕事クソ忙しい」としか書いてない日が沢山ありましたが、まぁいいんです。そんなもん、仕事は忙しいほうがありがたいわけですし。
そう、帝劇。
多分、なんですが、多分、10年目なんです。帝劇に通い始めて。

はじめての帝劇は、父の死後2日後にはじめて帝劇からチケットが届いて、行くかどうするか凄く悩んで(四十九日ぎりぎりのあたりでしたので)、母とも相談し、結局行く、という選択をしました。父と最後に乗ってた車で流れてたのもキンキさんの曲でしたし、父は私が光一さん大好きなの知ってたのでこれはもう、プレゼントだと思おう、と思って。
あれから10年です。
まさかSHOCKがあれからずっと続いていると思っていなかったし、こういう日がくることも全く見えてませんでしたが、相変わらず私は光一さんが好きです。
今日漸くドキュメント観たんです。仕事から帰ってきて、二度も(笑)
もうねーもうほんと、私このひとのファンでよかった。
一生好きだと思います。今後、この先、嫌いにはなれないと思う、この人のこと。
とんでもない人ですね。とんでもない人があんな笑顔でみんな大好き。って言っちゃうんだからカンパニーの方々はほんと凄いなと思ったりして。非常に楽しかったです。当分あれに癒されようと思います。あー格好いい。

あ。
話ズレた。
帝劇の話でした。もう正直、台詞も演目も10年観てれば覚えているわけです。
でもそれでも久しぶりに今回、観るのに緊張しました。何年ぶりかわかんないんですが3列目だったんです。でもそれよりも、10年見続けて初めての「ド真ん中」の席で。私ド真ん中の席が過去一度も無かったので、前の方が嬉しいと言うよりもど真ん中が嬉しくてたまんなかったんですが、想像以上でした。
あれ、1列目の人凄いなと思います。あんな近かったらなんか違う意味で動悸息切れしそうです。想像以上にとんでもなかったです。ちなみに、あの、台湾で一応写真も一緒に撮らせて頂いているんですが、いや、これあれやん、帝劇のが全然近いわ。という距離感でした(苦笑)
物凄く駄目な視点で見る感想をまず。(あとで真面目に書くので許してください)
最初は全然汗をかいていないこーさんも次第に汗をかくのですが、「なんでそんな綺麗に汗かけるわけ?」というくらいなんか、なんていうの? 首筋とか綺麗なわけですよ!! ガン見してごめんなさい。艶っぽかったです。うっすら汗かいてるときがなんかもー、うん。素晴らしかったです。あー綺麗。そしていちいち指が可愛い!! 指の動きがなんか説明できないんですが可愛いんです。それもガン見。
あとは足首。ちらりとのぞく靴下に昔なんぞや色々あったなーと思い出しつつ、ちゃんと色変えてることに驚いてみたり。しっかし綺麗な人でした。綺麗! 美人!!
で、真面目なことを言うと、殺陣が半端なく怖いです。あの、最後階段の上にやらちゃんがいて、残りの子たちと戦うシーンがあるじゃないですか。あそこ、全然気付かなかったんですが、一旦一旦光一さんは殺陣を終えると真ん中に戻ってくるんです。その真ん中に戻ってきたときの息遣いがもうなんていうんですか、大丈夫なの? という。当たり前なんですけど物凄いんです、皆がみんな。汗だくですし、呼吸困難みたいになっちゃってるし(そりゃ国営ドキュメントであれだけのものを見せられてたらこちらも覚悟してみているつもりではあるんですけど)、鬼気迫る感じが壮絶で、殺陣をあんなに恐ろしいと思ったのは初めてでした。そしてあの血まみれ光一さん。……絶句でした。もう殺陣んときから泣きそうになるわなんやらで凄かったです。
1幕終了後、友人と同時に呟いた言葉が「此処、怖い!!!」でした。
そして2幕。
私の大好きな曲がなくなってしまったんですが、でも前よりもっと良くなっていたのでそれに関しては全然寂しくないです。というか2幕!! 

2幕、私多分一番好きです、今回の衝撃。ネタバレになっちゃうのであんまり言えませんが、でも太鼓のとこ。
私あれ見て「あー、この子は神への供物だ」とか本気で思いました。ごめんなさい。
丁度少し前にSHOCKを観覧された方とお話していて、その方が「天使でした!!」って仰ってたんですが、もーほんとにそうだと思う。というか2幕神!!!(涙)

私、もう一度観たいです。2幕の太鼓が素晴らしすぎて。DVDであそこだけでも出してくれませんか……
もーたまらんかったです。凄く好き。あのダンス、物凄く凄く好きです。綺麗。
あーもっかい観たい。
夜の海の前にあんな素晴らしいもんが見られると予想もしてなかったので(私はSHOCKはあんま情報を仕入れずいきます)、度肝を抜かれました。あのダンス永遠に観てたかった……
衣装も好きなんですが、あの群舞、たまらないです。
そしてあの時間になると光一さんやたら色っぽいんですけどどうしてだろう。最初ちょっと表情かたい? なんて勝手に思っていたのですが、もうなんか、コウイチなんですよ……光ーさんじゃなくてコウイチ。

大桜が待ってるコウイチなので、だからなんでしょうか、間際の美しさみたいなもんがあって、目が離せませんでした。
にしても想像以上の改変でしたが、素晴らしかったと思います。私は凄く好きです、今回のSHOCK。そしてもう多分一生あんな良席で見られることはないと思います。後生です。お許しください。そしてやっぱり、10年目の父のプレゼントだと勝手に思ってるので、おとんありがとう。と思ってます(笑)
時間が流れるのは早いですね。
でも同じ10年でも、価値も意味もある10年だと思います。光一さんの10年は。
あー見習いたい。日々、精進します。あそこまでの努力はできないけれど身の程にあった生活を頑張りたいです。
というわけで生きる糧! でした。
ありがとうございました、カンパニーの皆様方。素晴らしかったです。
今も思い出そうとがんばるんですがでてこないー太鼓んときの曲がでてこないー(涙)
嗚呼もうあそこほんとうによかったなぁ。薄っすらとした記憶を再生させて今後を乗り切ります。なんかもう神々しかったんですよ。痛いといわれてもいいです。最初っから光一さんに関して私は結構な勢いで痛い人です(笑)でもほんと、あーこのひと人間じゃないのかもしんない。神様に近いのかも、くらいのことは思いました。衣装が白に銀っていう所為もあるのかもしんないんですが。あのひらひら感もあいまって神々しかったです。痛くてごめんなさい。でも!! 凄かったんだから凄いものは凄い! と大声で言ってもバチはあたんないだろと思ってる自分もいるのでした。
SHOCKは私の中では「ご褒美」なので、日々ちゃんとした生活をして、顔向けできるようになってから観にいきたいと思ってます。なのでまた仕事もその他諸々も、頑張ろうと思います。光一さんからだには気をつけて!! 遠くから祈ってます。

全然関係ないんですけど、堤さんの番組で「ヒマラヤ巡礼」というのが1月にやっていて。私最近疲れたときはそればっか観てたんですが、堤さんがヒマラヤに向かう、という番組で。
ネパールからヒマラヤに入るのですが、そのネパールのヒンドゥー教のお祭りで「インドラ・ジャトラ」というものがあります。
この祭りの主役は「クマリ」と言う歳若い(現在のロイヤルクマリは7歳)少女です。彼女は3歳に選ばれて「神の子」として扱われ生活している子です。初潮がくるとその任を下り、また新しいクマリが選ばれると言うシステムです。
クマリには人権侵害だのなんだのと、色々問題視もあったりするのですが、でも。
この子を見ていて、アイドルが「偶像」の意味だと言うのが物凄くよくわかりました。クマリは一年に一度、そのお祭りの日しか披露されません。普段はクマリ専用の建物で両親とはなれて暮らします。全てのアイドルがアイドル、全員が「偶像」では無いと思うのですが、何処かその神の子とも似ている箇所があるのではないかと思ったりして。
なんらかの力によって選ばれた子達は、やっぱり力があるのかなとも思います。選別されてこなかった側の人間からしてみれば。特殊ななにか、その「選ばれた時点での運命」のようなものは逆らいようが無いのかな、とも。
それを全てのアイドルに重ねるわけではないのですが、何処か、その雰囲気を持つ人たちが数人いるなぁ、業界には。と思ったりしたのでありました。
なにがいいたいかって、そういう存在がとても愛しいという、それだけのことです。
私は、それこそ崇拝する側の人間なので(過度だと駄目だと思いますが。世の中のものは大抵、過ぎたるは猶及ばざるが如し、です)。

異端児説

今日不図会社行く前に思ったんですが、剛さんってJ事務所から見たら結構異端な存在なわけじゃないですか。やってることが。
で光一さんはJ事務所の王道だって思ってましたが、「あれ? そうじゃないことないか」と思い始めました。
光一さんて顔もやってる公演もJ事務所の本筋、王道だと思うんですが、でもよくよく考えたらJ事務所の最たる象徴であろう「うちわ」を「要らん」とグッズにいれず、解りやすいファンサはナシの方向で、ってやってるあの御方も、相当にアウトローなんではないかと。
いや、アウトローだろどう考えても。(言葉はあんまよくないですが「ちょっとはみだしてる」くらいの意味で使ってるつもりです)
毒蝮三太夫の正統な後継者だと勝手に言われてるあのイジリもよく考えたら「王道」ではないわけで。(言うならやっぱり中島健人君が王道だろうよ……)
と考えると「なーんだ、キンキさんってふたりともアウトローなんだね」みたいな気持ちになりました。剛さんはそれが派手めに見えるだけで光一さんだってかなり、というか結構な勢いでJ事務所の本筋から離れてるよなーという。
いや、うん、だからキンキさんてキンキさんなんだなとなんだかしみじみそう思いました。

結局やっぱり芯の何処かは似通ってるんだろうなあのふたりは。

あと今日会社帰りに「いつも僕は恋するんだろう」を聴いて「お、おそろいのキーホルダーだと!? もしかして毎度キンキさんツアーグッズにキーホルダー入れてくるのは『お揃いのキーホルダーくらいしか接点ないけどさー、これ以上僕らがひとつになること望んでくんないの?』っていう暗示なわけ!?」と異様にキモいことを思いついてしまったので懺悔しておきます。

いつも僕は恋するんだろうってどんちゃんなんですね。いい曲やなぁと思います。かわいい。ふたりがかわいい。

かわいすぎる。

歌のこと

どやも聴けてないしエンタも買ってません(苦笑)
どやはまた20日以降に纏めて聴けたらいいなー
エンタは帝劇版ほしいので当面お預けです。
楽しみ!
キンキさんてお財布に優しいアイドルだなぁと今更ながらしみじみと思います。でもとりあえずね円盤を……円盤が聴きたいなぁ……
昔の曲でも十二分に楽しんでおりますが、次回アルバム楽しみにしてます。ほんとに聴けば聞くほど声の質とか歌い方とかほんとうに綺麗で楽しい。剛さんの声とかびくっとするときがあります。死ぬほど上手いな!!!って思って。特に最近のアルバムは「無」だと本人が言う様に物凄い透明と言うかすごい際を歩いてるというか、黄泉の国とこっち側のぎりぎりの線が見られる声というか「なんだこのひとの声!?」とたまにどきりとするのでした。優しいけど空っぽな感じが凄い惹かれる。ずるい。
空洞ってすごいと思うわけです。
なにもないところ、が限定的にその場所にあってその場所は「なにもない」という事実で埋められてるんだけその「なにもない場所」を満たしている「物質では無い何か」例えるなら「観念」みたいなものがそこにあるっていうのがすごい不思議で、それを体現できてる声があることがもっと不思議。怖い、アイドル怖い。
で、私は百年ノ恋くらいしか最近は剛さんソロ聴いてないので比較できないんですが(そもそも比較をするようなものでもないのですが)、キンキさんに関していうとそのものすごい虚無と言うか空っぽというか「無」にちかいところに光一さんの硬質な声音が載るとものすっごい美しい青色系(視覚にすると青だけれど感覚で言うと悲哀)が増殖して「ぎゃー」と思うのでした。
なんだろう、もう絶妙としか言いようのない声質だなふたりとも、と思います。光一さんも無なんですが光一さんの無は意識外の無な気がしてます。剛さんは意識内の無。
で、キンキさんの曲を聴くたびに好きな曲はいっぱいあるしキンキさん以外も勿論大好きだと言える曲は大量にあるけれどこんなにも「あーほんっと好きだなぁ」と思う「声」は無いな、と思ってます。曲云々の相乗効果も勿論あるんですけど彼らの真髄はやっぱりそのマイナーな声質でそれを見抜いて硝子の少年を与えた周りの大人が凄いと思うし、その路線を崩さず今に至るのは本当に、いちリスナーとしてはラッキーな現場に居合わせたなと思っています。
声がほんとにいい。
アイドルで「与えられた歌」を歌っているときが彼らの空っぽさを際立てるようでそこが凄い好きだったりします。日本語の歌詞の空々しさみたいなものすら尊く思えるという、凄い不思議な効果。
愛してるも好きも彼らが歌うと熱の籠らない流れる水みたいになる。
大人になってもそれが消えなかったことは凄いこと。
透明って言うのは凄いですよ、無個性、没個性は逆に想像を豊かにさせるわけで。此処まで他人に全てを預けてしまう透明度っていうのはなかなか無いんじゃないかと思ってます。(没個性が逆に「個性的」であることを際立たせるというか、結果的に「無」が彼らの存在感をより強力にするというか。それを自然に知っちゃってるところが脅威)
面白い人たちだなーと思ってます。
彼らは「曲」と「リスナー」を繋げる「触媒」の役割の人たちですがこの触媒が無個性であればあるほどインスピレーションがおきやすく発想は飛躍的に豊かになる、てのを実践してる人たちだなあと。
無個性って言葉がとても悪いので伝わりにくいんですが「無」が悪いことでは無くそこに「自我」を介在させるよりもよっぽど作品として素晴らしいものが出来る、という意味合いで使ってます。
その触媒ってのを考えるとそうか、巫女さんとか依代とかそういうものだって時折いう剛さんの気持ちも「そうだなぁ」と納得してしまうのでした。「届ける」のがまず大前提なんだなと。
相変わらず興味深いです。
踊ることに関しても歌う事に関しても起源論はやるなって大学で言われたから結局起源はわかりませんが私は「神にささげる」ものだと思っていて。
神って言うと宗教的になるか。言葉を変えたら「なにかわからないけれど絶対的なもの、人間を超越したもの」になるのかな、現代だったらそれは感情でもいいと思うわけです。愛だったり業だったりそういうものでもいいとおもう。

自分の世界の中で自分の絶対的なもの、そういうものがあるならそれに向かって「いのる」という行為の一環でダンスも歌もあると思うので、やってるこたぁ同じなんですよね。
光一さんが衝撃でひたすらに踊るという行為も、剛さんが平安神宮で歌うという行為も。
やっぱりどこかに通っていて「やっているその行為は違うけれど、共通の場所に向かっている」というのはそういう点からも思うわけです
違うことをしている二人だけれども、行為の真意は同一のもの、というか。
あーやっぱりキンキさん面白いな。と思います。
あの二人は本当に興味深い。
どっちも神様に愛されてる子達なんだろうなと思ったりもするのでした。
痛いな(笑)
まぁいいや、痛いのは前からだしなー
ヲタクは痛いくらいで仕方ないと思おうとおもいます。