遊星歯車機構

主に三次元

どうでもいい話。

2014年の1月に書いてた日記。

最近よく思うんですが、世の中の秩序を見つけようとしてもそれは無理なのかなぁと。そもそも秩序がないところに人間の道徳観で秩序を構築しているだけであって自然界にタブーなんてもんはあらへんのやろうなと。
だから人道に背いたことを「おそろしい」と思うのは学習の結果であるんだなーと。となると「教育」というのは「人間らしい人間=標準的な人間」を作成するために非常に重要なツールであるわけで。
「教える側」というのは物凄く責任があるんだなと思いました。
先生、教師というよりも道徳観の教育は保護者にあると思っているので、親というものはひとつ生み出したら最後までそれに対しての責任が生じるのも致し方ないことなのかも、と思ったり。
あー言い方が悪いな。あくまで文字で表してるだけなので、それに関してはもう少し体温があると思います、本来は。文字って温度がないから伝えにくいですが。
なんとなく、糸の先が見えるような気分になって辿ってみることがあるのですが結局世界というものの根幹が一体何なのかよくわからんなーと思うのでありました。長い年月をかけてひとつの「概念」みたいなものを共同で作り上げたものが世界であるとしたら、概念の中の一端だと思えば人生もそこそこ楽観視できそうだなと思ったり。
私は自分という個人を大事にしたくないので、集合体の中の1で良いのですが、「自分らしさ」というものを追及する昨今の世情には飽き飽きしています(苦笑)いいんですよ「自分」って自分では生きてることすらも認識できない存在であるから結局は他人を介しないと存在しないわけで。大したもんじゃないのになんで大したものでありたがるのは業だなと思うのでありました。
ああただ生きたいと願って散っていった方々に対して何たる侮辱。
申し訳ないなぁと思いつつ本日も暮らそうと思います。

あ、このあいだ「忘れられた皇軍」を見ました。
大島渚監督の撮影したドキュメンタリーです。偶然見たんですが、かいつまんで言うと日本軍として戦争に参加した韓国人の方々が、終戦してから国籍を韓国に戻したので「在日韓国人」となったのですが、戦後の補償が日本政府からも韓国政府からも受けられないという現状を映したドキュメンタリーでした。
腕の無い人、眼が見えない人、足が無い人、らが出演されているので衝撃的といえば衝撃的かもしれません。
私の世代は多分国に対して悪意も何も持っていないと思うのですが(一般的には。アベノミクスの恩恵を肖れないと怒る場合は別として)、「国」に対しての反骨心というか毛嫌いと言うか、反体制というか、とにかく日本政府に対して物言いがある方の描かれる作品だなぁと思いながら見ていました。
戦後の補償と思想が同一で語られてよいものなのかどうか、という点で考えると賛同できない箇所もあるのですが、そう思ってしまう自分こそが一番「残酷」であるのかも。と思わされました。反体制のひとからしてみれば国に異議を唱えないのも洗脳の一環であると考えられてもおかしくないわけですし。
ただ、信念というものはあったほうが美しいなと思いました。
やるせなく腹立たしい、怒りのあるドキュメンタリーでした。
吃驚したのはうちの母が「あー子どもの頃よく見たわ、白装束でよく家にきてお金を、って言ってた」という言葉。忘れられた皇軍は昭和38年の話。
終戦後18年、ほんとにあった話なんだなぁと、当たり前のことなのにどこか遠くのことだと思っていた自分はがつんと頭を殴られたみたいな衝撃でした。
日本人の島国主義というか、閉鎖的な感覚って何処かしら差別を生みやすいのかなぁと思う箇所もありました。色々考えさせられるドキュメンタリーでした。

そしてその後ジャニーズを見ながらしみじみと思いました。
いい時代に生まれたなぁと。
ありがたいことなのにこのありがたさを十分にありがたいと常々感謝して生きられないということに対して、あーほんとあかんね自分というもんは。と思いますが、(でもそもそも「この時代はいい時代」っていうのは比較論ですからそう思うこともほかの時代の方々に対して失礼なのかもと思う時もあります)でも生まれたものは仕方ない、たのしく生きていけたらいいと思います。
という話。