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遊星歯車機構

主に三次元

ジャニヲタへの道②

ジャニーズ事務所 キンキ KAT-TUN 芸能に関しての諸々 自分ごと

こちらの続きです。 お題「ジャニヲタになったきっかけ」

skeptikoi.hatenablog.com

野猿に「集団で努力することの美しさ・楽しさ・熱意」を教えて貰った自分は人数が多い(当時まだHey! Say! JUMPはデビューしてなかったしNEWS・関ジャニもデビューしてなかったので)V6にみるみるうちに片足を突っ込みます。沼の深さを確認する時間も無かった。

なにがいいってリーダー・坂本氏の「一度ジャニーズを辞めている」という究極のエピソードが私の胸を鷲掴みました。「ジャニーズを辞めたけれど、戻ってきて当時最年長であった24歳デビューという金字塔を打ち立てた人物」という坂本君のプロフィールは私の好きな「努力が実を結ぶ」という言葉を正しく実体化したようなプロフィールでした。(当人的にはそんなに触れてほしい個所でもないと思うので申し訳ないですが)

あ。ちなみに坂本君の最年長デビューの記録は後に北山君に破られることになりますがそれは余談ですね。

坂本君はジュニアとして活動していましたが、当時もう20を越えたらデビューできない風潮があり結果、ジャニーズを辞めています。彼は旅行会社で確か営業をやっていたんですが、これ私の記憶違いだったらごめんなさい。営業の最中か帰宅途中かなんかにキンキの二人に電車でばったり出会ってるんですよ、坂本君って。それで「ああ、やっぱり自分のいる場所はここじゃないかもしれない」って悩んで、長野君に相談したら「戻って来れば?」って社長に言われて戻ってきた、というようなエピソードがあった、はず。です。(このあたり大分昔に調べたっきりで覚えてなくてごめんなさい)

私「うわぁこういう運命的な人、いるんだ!!」って。それでV6としてデビューするんですよそのあとに。そしたら年の離れたカミセンの子達と一緒なもんだから「なんじゃこりゃあ」と思いながらちっちゃい子たちを育てた坂本さんが凄く愛しい……(リーダーってそういうとこ凄いなって思ってます。トキオの城島君も最年少の長瀬君に礼儀だけは教えないといけないってちゃんと教育したから今でも長瀬君は年上に丁寧語使うっていう。最近城島くんはそんな厳しい育て方してないって笑ってますが当時は結構きちんと育ててた記憶があります)あと長野君も私の中では壮絶に魅力的な人でした。なにせ「主か!」てくらいジャニーズ歴が長い。物凄く長い。

同期が佐藤アツヒロくん。確か中居くんや城島くんよりも入社が早い筈です。なのにデビュー確実と言われながらもなかなかデビューできなかった苦労人、というところがもうすんごく好き。それがV6としてデビューしていつもにこにこしててやんちゃな下3人のことも全部受け入れるくらいの度量というか、緩和剤というか、あの雰囲気。素晴らしいと思います。というわけで私はトニセン贔屓でしたので舞台をこの頃物凄く観に行ってました。坂本さん主演の「シェルブールの雨傘」。トニセン主演の「とんかつロック」長野君主演の「フォーティンブラス」。今でも観に行きたかったと悔やんでるのが井ノ原くんの「東亜悲恋」。行きたかった……

トニセンがいなかったらこんなに舞台を見ることもなかっただろうな、って思うくらいに舞台のイロハを教えて貰ったような気がしています。コンサートに関してはチケット全然取れないもんだから殆ど行けてません!!! 代々木だけはなんとか……這って行く……!!みたいな。V6のあの日替わりランチみたいな日によって演目が違うコンサートとか、試みが半端ないなって思って見てました。記憶を辿ると「滝、すごかった!」みたいな感想しかでてこないんですけど……(記憶力が薄い)

そんなわけであんまりにもコンサート当たらないので「行く?」とV6ファンに誘って貰って行ったTOKIOのコンサートが実際はジャニーズ初コンサートでした。TOKIOも好きだから行く~と連れてって貰ったんですが、まぁなにせ長瀬君が恰好いい。ただただ恰好いい。マボのドラム舞台が動くことに驚き(今までのライブでドラムがああいう動きするの見たことない)「僕たち、ダンスは苦手なんですけど」とはにかみながら見せてくれた5人揃いのダンスが!! スーツでめちゃくちゃ恰好よくてですね!!! TOKIOのコンサート楽しいから皆一度は行くべきだよ!!!! と個人的には思ってます。当時はバックにMAがついてたんですがMAに一曲歌わせてくれるし、物凄い後輩思いのグループなんだなってそのときしみじみ思いました。

で、うっかりこの頃から「長瀬君の親友は堂本光一らしい」という情報を知り「え? 接点なさげじゃない?」と思って調べたりするうちに今度は堂本光一にうっかり片足を突っ込むという惨事に見舞われます。(今現在沼の底にいるから惨事で間違いない)

長瀬君のあのピュアっぷりも凄いと思うんですが「輩か!」と言いたくなるようなガタイのいい長瀬君の隣でにこにこ楽しそうにしてる光一さんに完全に落とされるわけです。完全に顔が好み。そして堂本剛くんというオールマイティ過ぎる完全無欠アイドルの隣で「この人、どこまで比較されて生きてきたんだろう」という失礼な見方で最初ハマるんです。もう物凄く失礼な見方だってことは解ってます。でも「ふたりしかいないユニットで否が応にも比較される状態」という中で人間は果たして生きていけるのか、っていうのが気になってしまって。誤解を招く言い方をしますが、当時やっぱりどう足掻いても歌は剛くんが上手かったし、演技も絶好調でしたし、誰もが剛君恰好いい、って言って憚らない時代なわけで。剛君が素晴らしいことと光一くんを比較するのはおかしな話なんですがそれでも「2人」はどうしても「比べられる」ことが前提にあるんじゃないかと思うわけです。

けれども光一さんは比べられて嫌だっていうそういう感じでもなかったし、その当時は「俺、オフでも誰とも遊ぶひといない」って愚痴っててそしたら剛君が「俺と一緒に遊ぼうか」って剛君の友達と一緒に光一君も遊ぶっていうのを公言してた時期でしたので(今、なんか無かったことのようにされてますけど笑、当時はふつーにテレビでそういうこと喋ってた)「あ、私なんかの浅墓な考えでは生きてない人たちなんだ」と吃驚してしまったという。私は比較されて卑屈にならない理由、が知りたくて堂本光一さんという存在を気にし始めたんですが、当の本人たちは「お互いの良さをちゃんと互いに知ってて認めてる」からその「比較云々」で卑屈になることもなかったという。

私の考え方に思いっきり「おまえ、その浅い考え方どうにかしたほうがいいよ」と言われたような衝撃でした。もっと清いというかもっと高尚というか、まぁ簡単に言うとあれです「KinKi尊い」だったわけです。そこでキンキさんにどんどん惹かれていくという。

で、私は多分人生でずっと追い続けるのは事務所担といえどもキンキさんだけだと思うんですが(他も全員好きですけど)その理由が何故かというと、ちょっとあんまりいい話でもないんでさらっと読み流して貰えればいいんですが、さくっと書いてみようかと思います。

キンキさんにゆるゆる惹かれていた私はSHOCKに申込をしてみました。6月にSHOCKがあった年の話です。なので2002年ですね。当時まだFCに入っていなかったので帝劇枠です。でも当時既に「日本一当たらない舞台のチケット」と言われてたので「当たらんやろな」と思ってました。でも出来たら堂本光一さんを生で拝んでみたい!!!と思っていたさなか。

5月に、父が急逝しました。

当時私は20歳で、当日も父は会社に行っていました。所謂「突然死」というやつです。私はもう成人でしたが弟は16歳と14歳。絶望したのは母だったと思います。これに関して詳しく書くのもアレなんでさらりと流しますが、とにかく「趣味に興じる」なんて場合ではなくなりました。なのに、お葬式の次の日に届いたんです、SHOCKのチケットが。取れる筈の無かった公演のチケットが、届いたんです。しかも2列目。

49日を過ぎていないことから母と相談して何度も譲ろうと思ったんですが、譲るのがしんどい、どうしよう、と結局母に「それは父からのプレゼントだと思って楽しんできなさい」と諭され、SHOCKを見に行けることになりました。

葬儀に関しては母が動揺してたので段取りは私が葬儀屋と相談して決めましたし、父の死亡宣告書も自分がサインをしました。食事をすることもしんどくて(多分、御身内を亡くされた方なら解って頂けると思います)自分が何をやってるのかもわかんないような日々を経て、ちゃんと父を送ることもできましたし、それに関しては後悔はないです。ただ、私は父との別れ方が最悪でした。夕食後に何気ない会話から父と喧嘩になり「あんたとは一生喋らない!!」と叫んだ5時間後に、父は急逝しました。

自分の言葉を呪ったのはあれが初めてです。本当になりました。一生父とは喋ることが出来なくなったんです。もう14年前の話ですから今は落ち着いていますが当時はもうあの言葉がなかったら父は死ななかったんじゃないかと色々考えてかなり落ち込みました。ただ、物凄く凹んだ自分を少し浮上させてくれたのがその例のSHOCKのチケットだったんです。父は私がキンキさん好きなことも知ってましたし、SHOCKのチケットを申し込んだ話もしていました。もうああいう時は勝手に脳がそう思っちゃうんですよ、父が当ててくれたんじゃないか、って。理不尽に喋らない!って喧嘩した自分のことをそれでちょっと許してくれてるんじゃないかって。

都合の良いように考えるのは残された人間の悪いところでも、特権でもあると思うのでもうそのあたりについては開き直ることにして母の温情にも甘えてSHOCKを見に行ったんです。初めて見た堂本光一という人間は、有態に言って「天使だよ!!!!」でした。頭沸いてますね。ええ、沸いてました。当時はアンケート用紙があった時代でしたので感想をひたすら書き連ねて投書してきた覚えがあります。

一番印象に残ってるのは当時は最前列に光一さんが下りてきて握手するという演出があったんですがそこの一番端が白髪のおばあさまで。おばあさまが光一さんの手を握って「ああ、ありがたい。一生の思い出にします」というようなことをおっしゃった際に光一さんは「来てくださってありがとうございます。また見に来てくださいね」と言ったんです。「またみにきてくださいね」というのはまた元気な姿を見せてくださいね、というのと同義であって「一生の想い出」というのはそこで「おしまい」だけれど「またみにくる」ということでそれは「また次がある」という言葉なんだ、と解釈した私は「アイドルの凄み」にそこで気付かせて貰ったんです。

まだ長生きしてくださいね、何度も見に来てくださいね。っていう言葉は生きる活力につながるんじゃないかと思って。これこそアイドルの真髄じゃないかと。

「生きる活力になる」ってすごいことだと思います。私自身も舞台を見て「ああ、色々あるけど頑張って生きていこう」ってそのとき思いました。父の死が絡んでいるのでずっとこれからも光一さんもキンキさんも好きなんだろうなって思うわけです。ちょっとこの二人は私の中では別格なんです、他の子達とは。(偶然光一さんの舞台が近かったのでSHOCKの話になりましたが、父の事を思い出すときキンキの曲を付随して思い出すことが多いです。良く父の車でかけて貰っていたので)

というちょっと暗い話はさておいて。

そこからはもうキンキさんキンキさんでコンサートに通い始めるわけですが、2006年、会社の仕事でしにかけていた自分はうっかり「なんかめっちゃ可愛い癒されるMVだな……」とキンキさんを見に行ったはずのファミクラで見た映像、嵐の「きっと大丈夫」に心惹かれるんです。なんかわかんないけどすんごい癒されるぞあのMV!!!と思ってたら「あれ? いや、この子達深夜でよく見てるやん」と気付くと言う。

そうです、深夜族な私はGの嵐をがっつり見ていたんです。勿論硫黄島撮影で抜けてた二宮くんの時期も見てましたし戻ってきたときにズラネタでひたすらいじられる二宮さんも見てました。「あ、嵐、かわいい……」沼に持っていかれた瞬間でした。

そして2007年、初のドーム公演のチケットが取れたので見に行ってみたら泣いちゃう相葉さんを見てこっちも泣きそうになり「あああああかわいいい!!! 応援したい!!!!」と嵐も応援することに至るわけです。完全に嵐ちゃんは会社がしんどいときの癒し要員でしたのでもう仕事つらいときはすぐ嵐ちゃん見て「明日もがんばる」って思ってました。アイドルのいいところってそれがあればなんとか毎日乗り切れるってとこだと思います。

その後のんびり嵐ちゃんやキンキさんを愛でるに至っておりますが、直近の現状を書くと、うっかりKAT-TUNにハマってます。

名古屋のコンサートからほんと、凄い子達だなって思って充電期間だというのにアルバム買いまくって聞きまくってます。この子達に関しても私が仕事でしんどいときに物凄いポテンシャルのコンサート見せて貰ってそのコンサート思い出しながら必死に仕事何とか乗り切ったのでもう感謝しかないんです。ほんとうにコンサート行って無かったら病気になってたんじゃないかと思う暗い忙しかったし精神的にどん底だった……

だからやっぱりアイドルってすごいなぁと毎度思わされます。

生きる意味にしちゃだめだと思うけれど(それだと彼らに負わすものが多すぎるので)生きる上で何らかの力を貰える存在ってすんごいなぁと感じています。だって他人なのに。私の人生なんて相手方は知らないのに。それでもこっちが「ファンです」って言ったらアイドルの子達は「幸せにしてやるぜ!」って言ってくれるんですよ(これ松潤だな笑)すごいことだとおもう。ほんとに。

そんなアイドルの子達にとても感謝しています。みんなそれぞれ凄く頑張ってるし、10代の私に言ってやりたい。「芸能界に努力してない人間なんていねーんだよ、努力してないやつは生き残れないんだよ。みんなそれぞれ頑張ってる」って。視野が狭かった若かりし日の自分に、未だそこまで視野が広いとは言い切れない年寄りの自分ではありますが「否定からはいったらなにも楽しめないよ」と言いたい。

そんなわけで人それぞれいろんな人生があるんだなって思いながらアイドルを愛でています。彼らの歩んできた歴史ごと、愛でていきたいと思います。

今日まで事務所担をやってるのはきっと「救われる瞬間があったから」なんだとおもいます。大なり小なり彼らの生き方で私は救われたなぁとおもうところがあります。あんまり重い荷物を彼らに背負わせたくないのでのんびり愛でていきたいと思ってますが、それでもやっぱり、ありがとう。って思ってます。

 

そんなジャニヲタへの道でした。今後も続いていくと思います。現状、中丸君の歴史がとても気になっているので調べていきたいです。帝王、魅力的すぎるよ!!!!

 

おしまい。